Archives/Jimbo Keynote/Ja
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これは8月4日、ウィキマニア2006で行われたジンボ・ウェールズによる基調講演の一部の非公式な翻訳です。基調講演の全文は音声ファイルで聴くことができます。
Archives/Jimbo_Keynote 17:13, 5 August 2006 Dedalusの版より翻訳(by w:ja:利用者:Kasuga)
- 私たちが出来るだろうと考えている社会的なことの一つに、WP:BIOがあります。過去一年の間、特に英語版のウィキペディアでは、存命中の人物に関する私たちの方針は、より洗練されたものとなり、より高品質なものとなり、実際に品質の高さが強い焦点となっています。
- これに対するコミュニティによる反応の一部として、シーゲンソーラー事件だけではなく、多くの似たような事件があります。ウィキペディアが拡大に拡大を重ねるにしたがって、二つの出来事が起こっています。ウィキペディアが重要になっていくにつれ、スティーブン・コルベアのような有名人の誰もが、ウィキペディアで自分の記事を調べます。しかし、また、プロジェクトがどんどん大きくなっていくにつれ、実際にどんどん有名でない人々の記事が書かれていくようになります。そう、あなたはジョージ・ブッシュについて望むように書けますし、確かに、ブッシュは電話をしてきて彼の聞いたすべてのことについて抗議したりはしないでしょう。しかし、起きている事があります、ほとんど有名でない人々と一種の議論好きな人々がおり、彼らは彼らの記事をウィキペディアで読んで、もし、それが良いものでなければ、抗議し、ひっくり返します……
- 私が何度も何度も見たことのある一種の典型的なパターンがあります。ある記事を訪れて、気に入らない何かを見た誰かが、記事を空白化します。当然です。誰かが彼らに警告し、彼らは記事を再び空白化し、彼らはブロックされます。当然です。そして彼らは法的な脅迫を持ち出し、彼らは本当にブロックされます。そして、実際には、彼らが正しい出発点に立っていたかもしれないのに、その人にとって事態は総じて悪い結果に終わります。あるいは、おそらく彼らは正しくないのかもしれません。おそらく、彼らは自分について書かれた事が気に入らなかっただけかもしれませんが、それでも、私たちは事態をうまく扱えませんでした。
- 近年において、私は社会的な方針が発展を遂げたと考えて、最近の数ヶ月を、実際にこの問題をもっとうまく扱おうとしてきました。多くの管理者と経験豊富な執筆者は、ソースが示されていない主張(これは、常にこの問題の典型的な例です)に対して、非常に強い態度を取っています。
- そして私の感想と感覚では、存命中の人物の記述は、ウィキペディアの最も困難でもっとも重要な領域の一つであり、より高品質に向かおうとする非常に大規模な運動を、私たちがまさに見ている場所です。コミュニティの多くの人々が、実際にそれに打ち込んでいます。
- そして、今でも古い時代のごく僅かな人々が言います。「ええ、あなたも知っている通り、これはウィキです、こうしませんか……」はい、彼らは道を外れています、多くの人々が実際に、私達は物事を正しくする重大な責任があると言っているからです。